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今回は納豆(糸引き納豆)の歴史についてお話をします。
納豆の起源には諸説あります。代表的な説と私見をまとめます。
縄文時代には大豆も伝来しており、稲作も始まっていました。また、加熱調理を行った跡も残っているので、納豆が偶発的に出来ても不思議はありません。
ただし、製造法などの共有と継承が出来たとは考えられません。
中国雲南省に納豆と同じような醗酵食品があり、それが伝来したとの説です。
残念ながら、雲南にその醗酵食品が残っておらず、真偽は不明です。
奈良時代(西暦 710~794年)に、遣唐使により唐の国(中国)から持ち帰られたとの説です。
これは、豆鼓(トウチ)あるいは、鼓(シ)という中国で使用されている調味料のことであり、糸引き納豆ではないと考えられます。
源義家(みなもとのよしいえ)通称、八幡太郎義家は、源頼義の嫡男(長男)で、鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏の祖先であり、源氏の本流です。
西暦1051年、陸奥の国(岩手県)で土地の豪族である安倍氏が朝廷への年貢を数年間怠ったことにより戦が起こります。
前九年の役と呼ばれる戦です。この年、陸奥の国に赴任していた源頼義が対戦します。
京に居た義家は援軍として急行します。急ぐ義家は、軍馬の餌となる煮大豆を冷ますことなく俵に詰め、馬にくくり付けて出発しました。
行軍の途中で、馥郁とした香りに気付いた義家が納豆を発見しました。俵(稲わら)に納豆菌が付いており、馬の体温(40℃前後)で程良い醗酵が起こったのです。
義家が京から陸奥へ行軍したルートに沿って義家と納豆の伝説が数多く残っています。納豆の食経験は1000年以上と言われ、現在の納豆製造が北関東から東北で盛んな由縁です。
ちなみに、義家の弟である源義光(新羅三郎義光)は私(小笠原)の祖先です。私の祖先の兄が納豆を発見し、千年後の今日、子孫の私がナットウキナーゼや納豆菌の研究をライフワークとしています。これは偶然ではなく、“歴史の必然”であると考えています。
小笠原 和也
そのもの株式会社学術顧問/
九州大学大学院 農学研究院 特任准教授
熊本大学大学院医学教育部卒。 ナットウキナーゼをはじめとする機能性⾷品原料の研究開発、 35年間に渡る納⾖菌を主とする微⽣物学・醗酵学・酵素学の研究開発の経験をもとに幅広く活躍中。
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